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札幌高等裁判所 昭和26年(う)694号 判決

控訴人 検察官 真鍋薫

被告人 衣川義文

検察官 樋口直吉関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月及び罰金三千円に処する。

右罰金を完納することが出来ないときは、金三百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

前控訴審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検事の控訴趣意は、札幌地方検察庁小樽支部検事眞鍋薫作成名義の控訴趣意書に記載したとおりである。

第一点に対する判断。

原判決が、本件公訴事実中帳簿不記入の点を無罪とする理由は所論のとおりである。ところが、麻薬取締法第十四条第一項の規定によると、施用の場合において帳簿に記入すべき事項は、施用した麻薬の品名、数量、施用の年月日に限られていて、何人に対し、何の目的で施用したかは記入することを必要としないのであるから、たとい麻薬取扱者が麻薬を不正に施用したため罪となる場合であつても、これを帳簿に記入することによつて、自己の罪跡を表白することにはならない。従つて、かかる場合においても、右所定の事項を帳簿に記入させることは、敢て通常人に期待し得ないことではない。かかる場合にまで期待可能性の理論を拡張して、被告人の責任性を阻却するものと為す原判決は、法令の解釈適用を誤つたものというの外なく、その誤が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄しなければならない。

よつて、その余の論点に対する判断を省き、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条に則り原判決を破棄し同法第四百条但し書に従い、被告事件について更に判決する。

(罪となるべき事実)

第一、原判示罪となるべき事実

第二、麻薬取締法第十四条所定の帳簿に、右第一の施用した麻薬の品名、数量、年月日を記入しなかつたとの事実

(証拠の標目)

原判決挙示の証拠の標目に同じ。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は麻薬取締法第五十七条第一項第三十八条第一項に、第二の所為は同法第五十九条第一項第一号第十四条第一項(両者を通じ、罰金刑については罰金等臨時措置法第二条第一項)に該当するので、刑法第五十七条第二項第五十九条第二項により各懲役及び罰金を併科することとし、両者は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法第四十七条本文第十条により重い右第一の罪につき定められた刑に法定の加重を為し、罰金刑については同法第四十八条第二項を適用して、その合算額以下において処断することとし、その刑期及び金額の範囲内で、被告人を懲役四月及び罰金三千円に処し、右罰金を完納することが出来ないときは、同法第十八条により金三百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置するものとし、刑事訴訟法第百八十一条第一項により前控訴審の訴訟費用は全部被告人の負担とするものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 藤田和夫 判事 西田賢次郎 判事 長友文士)

検事眞鍋薫の控訴趣意

第一点、原判決は法令の適用に誤があつて、その誤が判決に影響を及ぼすこと明である。

本件公訴事実は、被告人は医師にして余市郡余市町北海道勤労者医療協会余市診療所に勤務している麻薬取扱者なるところ昭和二十三年十月末頃より昭和二十四年四月十三日頃までの間右診療所にて自己の治療並に麻薬中毒症状緩和の目的を以つてパントボン注射液百四十六本、モルヒネ注射液九十九本、パントボンアトロピン注射液百本半、パントボンスコポラミン注射液十二本半、ネオモヒン注射液三十五本半、アトロピンモルヒネ末一八、八六五瓦、パントボン末七、二八二瓦、阿片チンキ五百六十九、五c.c.等を使用し且つ麻薬取締法第十四条所定の帳簿に右使用の事実を記入しなかつたものであるというにあるが、原判決は前段使用の事実に対し麻薬取締法第三十八条第一項第五十七条を適用して有罪の認定をなしたが、後段の帳簿不記載の事実に対しては、「麻薬取締法第十四条第一項は麻薬取扱者をして業務上正当に取扱つた麻薬につき之を所定の帳簿に記入させその収支移動を明かにせしむる趣旨と解すべきで本件の如く犯罪を構成する使用迄を記帳せしめるが如き通常人に対し期待し得ないところとしなければならない従つて被告人は判示の如く使用した麻薬を備付帳簿に記入しなかつたことは認められるが之を以つて麻薬取締法第十四条第一項の違反行為とはならない」との見解の下に無罪の言渡をなした。しかしながら、

一、先ず文理上よりするも、麻薬取締法第十四条には原判決にいう如く業務上正当に取扱つた麻薬についてのみ之を記載すれば足る旨の文言がなく、且つ立言の態様よりするも、かく解しなければならぬ根拠もなく、原判決は同条を不法に狭く解しているものと云わなければならない。

二、次に右条文が設けられた目的は、麻薬が医療上不可欠の物件であると共に一歩使用を誤まれば劇甚な害悪をその被施用者に及ぼす性質を有するという観点よりして、麻薬の所在増削減を詳細に記録させようという趣旨に出でたものと窺われる。従つて、右条文を前記のように狭く解する必要がないのみならずかく解することは条文を設けた目的にも副わないものと云わなければならない。もし原判決のように解すべきものとするならば本条は殆んど空文に帰するであろう。蓋し、正常に使用した場合で故意に本条に該当する行為に出でるということはあまりないのが普通で、不注意のために本行為に及ぶことが多いと考えられるからである。かくては過失犯に対する処罰規定のない現行法では取締の目的は達せられないこととなると云わなければならない。

三、原判決は、前記のように解する根拠として不正使用の事実を帳簿に記載することは、通常人に之を期待できぬということを挙げ、これと同趣旨の判決もある(昭和二十五年八月三十一日仙台高等裁判所第一刑事部言渡、高等裁判所判決特報第十二号百六十頁)、しかし使用の事実を帳簿に記載すること自体は犯罪を構成するものでないし、右のような原判決の考え方を推し進めれば、同様事情の下における虚偽記載の事案にも同じ考慮を必要とすることとせねば、行為に対する法律評価の均衡を失う結果となるが、かような場合にまで期待可能性の理論を導入することは頗る疑問の存することと思われるので、原判決のような考え方にはにわかに賛成しえない。

尚公職選挙法第百八十五条の選挙運動費用の収入支出についてはその正不正を問わず会計帳簿に記載すべきであると解する説があり、行政実例において採用らせれているという事実も省られるべきであると考える。(高松敬治著解説選挙運動と選挙犯罪百五十三頁)

原判決の法律の適用に誤りがあると主張する所以である。

第二点、原判決の量刑は不当に軽い。

検察官は、被告人に対し前記公訴事実に基き懲役一年の求刑をなしたが、之に対し原審は懲役四月罰金三千円、懲役刑については二年間刑の執行猶予の判決を云い渡し、前記のように一部を無罪とした。無罪の言渡に対する検察官の意見は前記のようであるけれども、これを一応度外視しても、原判決は、量刑軽きに失する。被告人に対しては実刑を以て、臨むべきである。

一、本件犯行は医師たる立場を利用している犯行である。適切なる診察と正確な判断に基いて患者を治療し麻薬犯罪の防止に協力すべき責任を有する医師たる被告人が逆にその立場を利用し麻薬を正常に所持しているのに便乗して、多量の麻薬を長期に亘つて施用し之に耽溺していたということは職責に対する無自覚を暴露したものであつて、徹底的に糾弾されるべき悪質な犯罪というべきである。

二、使用した麻薬の量が多く且つ長期に亘つていることも注目せらるべき一要素である。自制心のない、専門的知識に乏しいものであれば論外であるけれども、被告人のような専門的教養を身につけている者がかような行為に出でたことは麻薬の特性と考え合わせ厳重に処罰せられるべき必要があると思うものである。麻薬はその強力な効用の故に医療上等不可欠であるけれども、又その一種の陶醉感を伴う習慣性という効果もあつて、これに基く、中毒症状及びその他の身心上の悪影響も少くなく、漸次自制心を失いこれに端を発する犯罪は数多く社会治安上の一問題点を形成しており、国家が麻薬の取締に重大な関心を持つて厳重な制裁を要求しているのも肯けることである。本件は麻薬の中毒性の慘害の一例であり、自粛他戒の意味で国家的見地から厳重な処罰の対象たる案件であると信ずる。

三、被告人が本件犯行に及んだ動機は、原判決判示の如くで一見同情に値するようであるが被告人に有利な事情にならぬと信ずる。けだし、臀部に刺さつた注射針の摘出は、翌日すぐ行われており(記録百三十二丁裏)かかる場合一般の患者であれば、若干の痛苦があつたとしても、その鎭痛のため麻薬を注射することは、この程度の外科手術においては、考えられないことと云わねばならないからである。殊に一日七本もの注射をする(同上)においては既に常軌を逸したものと考える。右の事情は要するに前記のように被告人が国家から許容されている麻薬取扱者としての特権を濫用して、自ら国家の麻薬取扱機構を破壊しようという反社会性の持主であることを表明しているものと云うべく、被告人糾弾の原因とこそなれ有利な情状とは認められない。

四、被告人が、本犯行を保健所に届け出たこと、現在中毒症状より脱していること、及び公判廷で将来医師として十分活動すべく誓う旨供述していること等も一応被告人の断罪にあたり有利に考慮せられるべき材料のように受けとれるけれども事情は全く違うと言わねばならぬ。又若し、右のような被告人に実刑を以つて臨めば医師の免許状を剥奪されるべきことを考慮したとするならば未だ以つて麻薬犯罪の本質に触れたものとはいえないと思う。

麻薬犯罪は前述のように、単に個人のみに被害の止まる犯罪でなく、極微量の麻薬が因となり果となり限りなく、相関連して発展して行く可能性のある国家的法益を侵害する重大な犯罪である。更に進んで、麻薬の特性に鑑みて国際的な性格をもつ犯罪と言うべきである。

本件は幸いにして現実の影響は被告人に止まつたけれどもその在的犯罪圏は極めて広汎であると考える。殊に被告人の立場職責を考慮に入れれば先に挙示した二三の個人的法益侵害の場合には有利と考えられる情状も本件の場合には何等の考慮を払う必要のない附随的事情であることが分明すると思うし、医師たるの資格の如きは、被告人に之を保留せしめないことがむしろ大局的見地においては必要であるとさえ考えられるのである。原判決の量刑が不当に軽いと主張する所以である。

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